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福井地方裁判所 昭和33年(行)5号 判決

原告 鷹巣晃海

被告 福井県教育委員会

主文

被告が原告に対し昭和三十三年六月十一日為した、同年四月一日付原告の福井県立丹生高等学校講師(常勤講師の意味)の依願退職の辞令及び同月三日付同校の非常勤講師(月手当四、〇〇〇円)発令の辞令をそれぞれ取消の上、改めて地方公務員法第二八条第一項第一号及び第三号により原告の同校講師(常勤講師の意味)を免職するとの行政処分は無効であることを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、先ず主文第一、二項同旨の判決、予備的に、主文第一項記載の行政処分を取消す、訴訟費用は被告の負担とする、との判決を求め、その請求原因として、

(一)  原告はかねてから福井県立丹生高等学校講師(常勤講師の意味、以下単に講師と云う場合は常勤講師を指称する)として勤務し、その後同校教諭に任ぜられ、昭和二十八年四月三十日依願退職の上、同年五月二日再度同校講師に任ぜられ昭和三十三年四月一日当時は講師として勤務し地方公務員法に云う一般職として同法によりその身分を保障せられていたものであり、被告は原告の任命権者である。

(二)  原告は従来地方公務員として誠実にその職務を遂行して来たが、昭和三十三年二月頃原告が明治三十四年八月三日生で福井県教職員中の最高年令者であることを理由に被告から退職を強要せられ、同年三月再び強く退職を迫られ且つ退職願の提出さえも要求せられたが、原告は教育者の信念として理由のない退職強要には応ずることができず且つ多数の家族を擁しているため生活上からも絶対に退職することはできないと主張しその都度これを拒絶した。

(三)  ところが、同年四月二日前記丹生高等学校において、校長面野藤志から「四月一日付、願により職務(右高校講師の職務の意味)を解く。退職理由、家事都合」と云う被告名義の辞令を手交せられ、初めて講師の依願退職の行政処分に付せられたことを知り、ついで同月三日付で同高校非常勤講師に採用する旨の辞令を受けた。

(四)  けれども、原告は未だ曽つて被告に対し退職の意思を表示したこともなく、況んや退職願を提出したこともなかつたのであるから、右依願退職の行政処分、ひいては、非常勤講師採用の行政処分は、地方公務員法第二七条に照し、明白にして且つ重大な瑕疵があるものとして無効であると思料したので、早速福井地方裁判所に右依願退職の行政処分無効確認の訴を提起(同年(行)第四号事件)すると共に、右行政処分の執行停止を申請(同年(行モ)第一号事件)し、同年五月二十一日その執行停止決定を受け、他方右本案訴訟事件の第一回口頭弁論期日は同年七月二日と指定せられた。

(五)  ところが、原告は再び被告から同年六月十一日付で、「貴職に対する昭和三十三年四月一日付の依願退職の辞令及び同月三日付の非常勤講師(月手当四、〇〇〇円)発令の辞令をそれぞれ取消の上改めて本日付で左の通り免職(前記高等学校講師の職を免ずる意味)したから通知する。理由、地方公務員法第二八条第一項第一号及び第三号」と云う分限免職の行政処分を受け、その翌十二日その旨の通知を受けた。

(六)  けれども、右分限免職の行政処分は次の理由で無効である。すなわち、

(1)  右行政処分は、前記処分通知によつて明白なとおり、一個の行政処分で、昭和三十三年四月一日付依願退職辞令の取消と、同月三日付非常勤講師発令の辞令の取消と、同年六月十一日付分限免職処分と云う三個の効力を有する行政処分を為したものであるが、右日時の関係からみて、同年六月十一日当時においては、原告は前記高等学校の非常勤講師の身分、すなわち、地方公務員法第四条第二項により同法の適用を受けない同法第三条の特別職の身分しか有しなかつたものであるから、その原告に対して同法第二八条を適用して分限免職処分に付した右行政処分は無効である。

(2)  右行政処分は教育委員会の議を経ず為されたものであるから無効である。詳言すれば、右行政処分を為すことは教育委員会規則第八条に云う「急施を要する事項」には当らないから、教育長の専決執行し得べきものではなく、同条第九号(委員会及び学校その他の教育機関の職員の任免賞罰及び服務の監督の一般方針に関する事項)或は同条第三〇号(前各号のほか重要異例と認められる事項に関する事項)に当るから、当然被告が同規則第三条第三項に従い会議に付すべき事項、会議の日時場所を予め福井県報に登載して委員を招集し、委員の合議制をもつて審議せらるべき事項であるのに拘らず被告はその手続を為さないで右の行政処分を行つたものであるから、右分限免職の行政処分は無効である。

(3)  右行政処分は原告には地方公務員法第二八条第一項第一号及び第三号に当る実体的な事由がないのにこれあるものとして為されたものであるから無効である。詳言すれば、原告は従来誠実にその職務を行つて来たものであるが、その原告に対して被告は十年以上も以前の事実を故意に歪曲或は捏造し、これ等の事由に基いて原告を分限免職処分に付したのであるから、右行政処分は無効である。

(4)  右行政処分は被告の著しい処分権の濫用によるものであるから無効である。詳言すれば、被告は前記のとおり原告に対して退職を強要の上原告の意思に反して依願退職処分を為したが、その目的を達しなかつたので報復的にさらに右処分を取消の上、前記のとおり事実を歪曲し或は捏造して原告を分限免職処分に付したのであるから、右処分は被告の著しい処分権の濫用であつて、無効である。

(5)  右行政処分は何等の予告もなく行われたものであつて、労働基準法第二〇条に定める解雇予告なしに行われた無効の処分である。

(七)  仮に右行政処分が右の理由では無効とならないとしても、少くとも右の理由によりその取消を免れない。

と述べ、被告の主張する分限免職事由を否認した。

(立証省略)

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、原告主張の事実中(一)の事実、同(二)の事実中原告が明治三十四年八月三日生の五十八才で福井県教職員中の最高年令者であつたので原告主張の日時頃依願退職を勧奨したことがあること、同(三)の事実、同(四)の事実中原告がその主張の理由に基き依願退職の行政処分無効確認の訴を提起し、同時に右行政処分の執行停止を申請したこと、同(五)の事実はいずれもこれを認めるが、その余の事実は否認する。すなわち、

(一)  原告は福井県教職員中の最高年令者であつた上に、原告には後記のとおり地方公務員法第二八条第一項第一号及び第三号に当る事由もあつたので、被告は当初から右法条を適用して原告を免職することもできたのであるが、原告の将来を考え昭和三十二年三月頃一応依願退職を勧奨したが、原告はこれに応じなかつた。けれども同月二十八日原告の出頭を求め、被告教育課長補佐大森陽が福井県教職員組合副委員長岩本巖立会の上原告と話合つた際右大森から「退職(講師を退職する意味)を条件として非常勤講師に採用する。」との旨を申れたところ、原告は「お願します」と明確に答え、講師を退職することを承諾した。そこで被告は同年四月一日講師の依願退職、同月三日非常勤講師採用の各発令を為し、前記高等学校長面野藤志を通じて各辞令を交付したが、当時原告は納得して右各辞令を受領した。

それ故に右依願退職及び非常勤講師採用の各処分は原告の明確な意思表示に基いて為された有効で且つ何等の瑕疵もないものと被告は信じていたが、その後原告から前記行政処分無効確認請求訴訟を提起し、同時にその執行停止を求めるに至り、調査したところ、退職願に関する証拠の確保について若干遺憾の点がないとも云えなかつたので被告は素直に原告主張の瑕疵を認め、右各処分は、もともと無効な行政処分であつたから、その無効宣言の意味で同年六月十一日、同年四月一日付の依願退職の辞令及び同月三日付の非常勤講師発令の各辞令をそれぞれ取消し且つ改めて同日付で地方公務員法第二八条第一項第一号及び第三号により分限免職処分を為し、同月十二日その旨原告に通知したのであるが、原告は同月十七日に至り、同年四月一日から同年六月十一日までの講師としての俸給月額金二万二千円の割合による金員と扶養家族手当とを受領し右処分に不服がなかつたものである。

なお前記依願退職処分無効確認訴訟は同年八月二十七日、原告に対する前記四月一日付依願退職処分及び同月三日付非常勤講師採用処分は無効であり、被告の行つた同年六月十一日付右各行政処分の取消処分は有効であること、従つて右四月一日付依願退職処分及び同月三日付非常勤講師採用の各行政処分は右取消によつてすでに消滅したことを前提として依願退職等の処分の無効確認又はその取消を求める原告の請求を理由ないものとして棄却する旨の判決言渡があつて、該判決はすでに確定したのである。

それ故に被告の為した分限免職の行政処分は何等の瑕疵もない有効なものである。

(二)  原告が前記行政処分が無効であると主張する主な理由に対して被告は次のとおり主張する。

(1)  その主張の(六)の(1)について、

被告は一個の行政処分で原告が主張するような三個の効力を有する行政処分を為したものではなく、依願退職の処分と非常講師採用の処分とは、前記のとおり元来無効な行政処分であつたからその無効なことを宣言する意味で取消と云う形式に拠つたまでのことである。それ故に原告は右の取消の有無に拘らず講師の身分、すなわち、地方公務員法第三条に定める一般職として同法の適用を受けるべき身分を保持していたものである。他方原告には後記のとおり同法第二八条第一項第一号及び第三号に該る事由があつたので、同法条を適用して従前のとおり講師の身分を有する原告を分限免職処分に付したのであるから、右処分はこの点においては何等の違法もない。

(2)  仮に分限免職処分当時、原告が非常勤講師の身分しか有していなかつたとしても、地方公務員法第二四条第六項に基く、福井県職員等の勤務時間に関する条例(昭和二十六年九月二十日福井県条例第四五号)及び福井県職員等の勤務時間に関する条例施行規則(同年十一月六日福井県人事委員会規則第六号)第五条「非常勤職員の勤務時間は人事委員会の定める基準に従い任命権者が定める。」、同第六条「非常勤職員の勤務時間は日々雇い入れられる職員については、一日につき八時間を超えない範囲内において、その他の職員については常勤職員の一週間の勤務時間の四分の三を越えない範囲内において任命権者の任意に定めるところによる。」と云う規定に従つて、福井県教育委員会は学校教育法施行細則(昭和二十五年六月十三日規則第六号)第二六条(第五四条で高等学校に準用せられる。)第一項「校長は教諭、助教諭および講師の学級ならびに授業の担任を定めなければならない。」第三項「校長は教員および事務員の出勤および退勤の時刻を定めなければならない。」との規定に基き、原告については、昭和三十三年四月以降毎週火曜日前半(午後六時三十分から二時間)普通科四年世界史、後半(その後二時間)同科一年一般社会、水曜日前半(同上)同科三年世界史、後半(同上)同科四年時事、土曜日前半(同上)同科一年一般社会、後半(同上)同科二年日本史と云うように学級及び授業の担任を定め、受持ち時間数を一週間十二時間と定めたのである。それ故に原告は法定の勤務時間の適用を受けていたのであるから昭和三十三年六月十一日の分限免職処分の行われた当時、原告は名称は非常勤講師であつても一般職と同様地方公務員法の適用を受けるものであつたのであるから、前記分限免職処分は、この点においても何等の違法はなかつたのである。

(3)  その主張の(六)の(2)について

被告は昭和三十三年五月九日委員長名をもつて告示第四号により同月十二日第四三回委員会の招集を福井県報に告示し、同日委員会において、原告に対し地方公務員法第二八条第一項第一号及び第三号を適用すること及びその時期については被告事務局に一任することを決議したのであるが、その後前記高等学校P、T、A会長田中伝が斡旋し一時は円満解決の見通がついたのに、同年六月十日原告がにわかにその態度を変えたため、解決が不可能となつたから被告は止むを得ず同月十一日右決議を実施せざるを得なくなつたのであつて、同日行つた免職処分は、即日その効力を発生せしめる趣旨のものではなく、その前提である依願退職処分及び非常勤講師採用処分の各取消処分が発効した上で、改めて同日付で免職処分すると云う趣旨、すなわち、条件付免職処分である。それ故に右免職処分は原告が講師の身分を回復した以後の処分であつて、手続上何等の瑕疵はなかつた。従つて原告の右主張は理由がない。

(4)  その主張の(六)の(3)について、

原告は別紙分限免職事由書記載のとおり地方公務員法第二八条第一項第一号及び第三号に当る事由があつたもので、被告において事実を歪曲したり、捏造したりしたものではない。従つて原告の右主張も亦理由がない。

と述べた。

(立証省略)

理由

原告主張の(一)、(三)の各事実、同(四)の事実中原告がその主張の理由で依願退職の行政処分無効確認請求訴訟を提起したこと及び同(五)の事実は当事者間に争がなく、右(五)の事実中昭和三十三年六月十一日被告が原告に対する同年四月一日付依願退職の辞令及びこれを前提とする同月三日付非常勤講師発令の辞令を各取消したのは、右訴訟事件において右依願退職の行政処分には、原告の主張する瑕疵、すなわち、原告の意思に基かずして依願退職処分に付したと云う明白にして且つ重大な瑕疵があつたことを被告が認めた結果によつたものであることは被告の自認するところである。

ところで、被告は右各辞令の取消は、行政処分の取消と云う形式をとつたが、実質上は右認定のとおり依願退職の処分は(従つてこれを前提とする非常勤講師採用の処分も、)明白にして且つ重大な瑕疵ある行政処分であつて、もともと当然無効であつたから、その無効宣言の意味で右各処分の取消を行つたまでのことで、原告は従前のとおり引続き講師(後記のとおり地方公務員法に云う一般職に当る)の身分を保持していたことに変りないと主張するけれども、およそ行政処分は権限ある機関により適法に取消されるか、或はその無効が確認せられるまでは一応有効に存在するものと解せられるから、法律上は依願退職処分により原告は講師の身分を失い、非常勤講師採用の発令によつて改めて原告は非常勤講師の身分を取得したものとみられるばかりでなく、事実上においても、被告が自認するとおり、(イ)昭和三十三年五月十二日わざわざ委員を招集して原告の身分上の件について委員会を開催したのであるから、もし右行政処分が当然無効であると云う見解であつたならば、被告はその時においてこそ、その無効宣言を行うべきであつた(もしそうしない場合は処分を受けた原告のため著しく不利益である。)のに、被告は当時これを行つていないこと、(ロ)被告は右依願退職処分は当然無効であつたと云いながら同年四月一日から同年六月十一日(依願退職処分の行われた日から、その取消の行われた日)までの講師としての原告の俸給を、同年六月十七日に至つて初めて原告に支払い、同日以前においては右俸給を全然支払つていなかつたこと、(ハ)証人面野藤志の証言により真正に成立したと認められる乙第一号証の一(丹生高等学校長面野藤志から福井県教育委員会宛の原告の講師に対する学校長の所見と題する書面)によると、同高等学校においては、昭和三十三年六月十一日当時においてさえも、なお原告を非常勤講師(四ケ浦分校勤務)として待遇していることがわかるのみならず、(ニ)同証言によれば、被告が原告を分限免職処分に付したのは、右乙第一号証の一を資料としたものと窺知せられることからみて、被告も亦当時原告を非常勤講師の身分しか有しなかつたものとして待遇していたものと認めざるを得ない。それ故に被告の右主張は事実と著しく相違していることがわかり、到底採用できない。従つて原告は前記分限免職処分の行われた同年六月十一日当時、従前のとおり講師の身分を保持していたものではなく、同年四月一日付依願退職処分により講師の身分を失い、同月三日付非常勤講師発令の辞令により、改めて非常勤講師としての身分を取得するに至つていたものと云える。

そこで、被告は予備的に、非常勤講師も亦その主張の(二)の(2)の理由から地方公務員法第三条、第四条により同法の適用を受ける一般職に当ると主張するからこの点について考えるに、原告の場合非常勤講師であつても、法令による勤務時間の定めがあると云う被告の主張する理由からだけで、非常勤講師が、地方公務員法第三条に云う一般職に当るか或は特別職に当るかを定めるべきものではなく、広くその勤務の実態からみて、これを決定すべきものと考える。

この点について、証人面野藤志の証言並に成立に争のない乙第三号証を綜合すると、原告は毎週火、水、土の各曜日が出勤日であつて、しかも右各曜日の各午後六時三十分から四時間が勤務時間とせられていて、その余のすべての時間は、(従つて月、木、金の各曜日はいずれも終日)勤務から解放せられて全く自由であつたことがわかり、(この点で日曜日、祝祭日等の休日以外は毎日出勤することを要する一般職と異る)且つ被告が自認するとおり、原告は講師としては月俸金二万二千円と扶養家族手当を支給せられていたのに、非常勤講師発令後は月手当として僅か金四千円しか支給されていなかつたことからみて、原告の非常勤講師としての身分は地方公務員法第三条第二項に云う一般職には当らず、同法条第三項第三号に云う非常勤の嘱託員及びこれに準ずるものとして、特別職に当るものと解せられる。

そして原告は前記非常勤講師の発令辞令の取消処分及び講師依願退職処分の取消処分によつて初めて講師としての身分を回復したのであるが、その回復した時期は、およそ行政処分は被処分者に対してその旨の通知が到達した時初めてその者に対してその拘束力を生ずるものと解せられることに鑑み、右各取消の通知が原告に到達した日であることが当事者間に争のない昭和三十三年六月十二日であつたと云わなければならない。

それ故に前記分限免職処分の行われた六月十一日においては、原告は前記認定のとおり地方公務員法の適用を受けない特別職である非常勤講師の身分しか有しなかつたのであるから、その原告に対して同日同法第二八条第一項第一号及び第三号を適用して為された分限免職処分は著しく違法であつて無効と云うべきである。

もつとも被告はその主張の(二)の(3)において、右分限免職処分は原告が講師の身分を回復することを条件として為された処分で、前記依願退職処分及び非常勤講師採用処分の各取消処分が効力を生じた時をもつてその効力を生ずる趣旨であつたと主張するけれども、原告が講師の身分を回復した後において委員会を開き、原告に対し地方公務員法を適用して分限免職処分に付したのであれば兎に角、原告が講師の身分を回復して初めて分限免職処分の効力が発生すると云う処分であつたとしても、その主張自体から明白なとおり同法を適用した時期は、原告が講師の身分を回復した前記六月十二日以前であつたことには相違なかつたのであるから右処分が違法であつて、無効であることには少しも変りない。従つて被告の右主張は理由がない。

そして原告は、すでに認定したとおり、現在講師の身分を回復しているのであるから、右分限免職処分の無効確認を求める法律上の利益を有することは論ずるまでもない。

よつて、その余の点を判断するまでもなく、被告の為した分限免職処分は無効であることが明らかであるから、その無効確認を求める原告の請求は正当であるからこれを認容し、訴訟費用につき行政事件訴訟特例法第一条、民事訴訟法第八九条に則り主文のとおり判決する。

(裁判官 神谷敏夫 市原忠厚 川村フク子)

分限免職事由書

一、原告は昭和二十三年八月福井県立丹生高等学校四ケ浦分校(定時制課程)に就任以来、社会科を担当して来たが、昭和三十二年三月までは、授業に当り単に教科書を朗読するだけで説明を加えず、生徒が質間するとそれに答えることができなかつたのみならず時には逆に生徒を叱ることさえあつた。

二、右四ケ浦分校においては、昭和二十三年四月から昭和二十七年三月まで(坂井功及び山本寿が右丹生高校長であつた期間)は教員の出勤時刻について明確な定めがなかつた。昭和二十七年四月前田幸久が校長となつてから、定時制課程の教員の出勤時刻を午後四時と定めて励行したけれども、原告は午後四時の出勤時刻に出勤したことは一日もなかつた。

三、牧野福(昭和二十六年五月から昭和三十三年三月まで丹生高校定時制主事であつた者)が原告に対し度々勤務についての注意を与えた処、原告はその都度「自分は僧侶が本職で教師は副業であるからそんなに精励できない。」と答えていた。昭和二十七年十月頃前田幸久校長が原告を本校に招致してその勤務について注意を与えた処同様の言を弄し不平を云い、公務員たる自覚に欠けていた。

四、昭和二十六年中山寿校長が四ケ浦分校へ視察に出た際、当時生徒会長であつた浜野春松が同校長に対し原告の授業振りや勤務についての苦情を申出たが、同校長は「生徒がこのような方法で先生のことを申出るのは穏当でない。」と諭して帰したことがあるが右事実からみても判かるとおり原告は生徒間においても信望がなかつたのである。

五、昭和二十五年三月坂井功校長から、昭和二十六年十月頃山本寿校長から、昭和二十八年三月前田幸久校長からそれぞれ大森陽(昭和二十四年九月から昭和二十八年八月まで高等学校人事係担当者)に対し、同僚との不和、勤務状況の不良、指導能力の欠如等を理由に、原告の処分を要求して来たが、昭和二十七年三月の教員移動に際しては、当時四ケ浦分校助教諭であつた原告の娘俊枝を依願退職させたので、原告に対しては何等の処分を行わず、昭和二十八年三月には前記のとおり前田校長から重ねての要請があつたので、原告の教諭を免職し、改めて講師に降格させたものである。その際他校への転勤も考えられたが、原告の引受手がなかつた有様である。

六、牧野福が昭和二十七年四月定時制主事に任命せられ、その頃四ケ浦分校へ挨拶に赴いたところ、原告は他の諸教員列席の前で、同人に対し「自分は君より俸給が上であるから、君の云うことはきかない。」と放言した。

七、山口校長が昭和三十二年三月中、牧野福を通じ、原告に対して退職勧告が来ていることを告げたところ、原告は非常に激昂して牧野に対し「お前の家にも校長の家にも火をつけて燃してやる。」と放言した。

八、原告は、右分校主任担当中、越前町から分校が受け取る金銭、教育振興会費、生徒会費等の出納を専掌していたが、その出納が全然不明確で昭和二十七年三月定時制主事の更迭の際後任者に帳簿、現金の引継がなかつたまゝ現在に至つている。

九、右分校図書室に備付ける書籍の購入については、原告は専横を極め全く無計画で、予算を無視し、越前町宿に在る原告の檀家佐々木書店から納入するものをその侭受入れていた。従つて小説類が多く、理科系統の書籍が少く、生徒から図書購入について苦情の申立があり、職員からの図書購入について考えて貰いたいとの申出もきかず、さらに、坂井校長、山本校長からも生徒に不向な図書が多いと指摘された位である。

十、昭和二十七年十月右分校において、研究授業が行われた際、原告は当日参観者に渡すべき研究授業指導案を全然作成していなかつたので、定時制主事牧野福がこれを作成して参観者に与えたところ、原告は気に入らぬとして一顧だにもせず、且つその批判会の席上では質問に対して答弁ができなかつたが、このことからみても日常の授業については何等の準備もなく臨んでいたことは容易に推察できる。

十一、右研究会の展覧会準備のため、田辺澄江講師が原告に対し、物つり用の釘を打つことを頼んだところ、原告は「校長も居ないところで働いても手柄にならんから手伝わない。」と云つて帰つてしまつたことがあり、又、研究会授業終了後行われた懇親会の席上で些細なことから樟本立殊教諭とけんかを始め、樟本に退職を強要したことがある。

十二、昭和三十三年三月異動の際は被告から高教組書記長田中明、副委員長岩本巖に対し退職勧奨の対象となつている教員の名簿(この中には原告も入つている。)を示して検討して貰つたところ、組合としても原告は擁護すべき人物でないとの言明があり、同教組丹生支部人事対策委員会においても原告を退職させることについては異議がなかつた位で、同僚間にも信望がなかつたものである。

十三、昭和三十三年五、六月頃原告の檀家総代から、「住職がそんな訴訟を起すようでは、法を説く人としては不適当だから住職をやめて欲しい。」と申込まれ、原告も一時は実家(長崎)に帰る決心をしたことがあり、越前町も昭和二十五年頃すでに原告には後援会の金を渡させないと言われている程の不信用である。

十四、原告は公簿の整理が不良であつて、昭和二十七年度の卒業生については、一年から四年まで原告が担任であつたが、その学籍証明を改ざんした箇所があつて公簿としての信憑性が疑わしく、また、右学年は一年生の時には三十四名いたが、卒業の時は僅か六名であつたが、その中途退学者についての記録が一切ないので外部からの照会に対する回答に困つている現状である。

以上のとおり、原告は教師として不適格である。

以上

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